丸岡城(霞ヶ城) 天正4年(1576年)、柴田勝家の甥で養子の柴田勝豊が築城した平山城で、
現存天守閣の中で最古の遺構です



上層に望楼を形成し、ニ層三階建の特異な建築法を採用しており、屋根が笏谷石製瓦をのせているのも珍しい。
城主には、安井左近家清、青山修理亮、同忠元、今村盛次、本多成重、有馬清純ら17代が変遷し、明治維新を迎えた。
大正中期から昭和の初期にかけて濠は埋められ、現在は本丸と天守閣と僅かな石垣を残し、城域は公園となっている。


丸岡城が「日本名城100選」になりました。(2006.2.13)

交 通 JR福井駅から本丸岡行き京福バス「丸岡城」下車すぐ
北陸自動車道丸岡ICから車で5分
料 金 大人300円、小人(中学生)150円
時 間   午前8時30分〜午後5時


城まで登ろう!  
5分で、城まで登れますよ。




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新春の丸岡城

雪化粧

春 4月


城内入り口の階段

場内の様子
▲ロープを頼りに2階へ登る ▲1階の天井
▲2階 ▲3階

城の周り。(拡大できます)


「一筆啓上」書簡碑   一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ

鬼作左とは
 「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」の作者、本名は 本多作左衛門重次 の別名
 家康に三河の執政を任された三奉行の一人。「鬼」と呼ばれたが悪い意味ではなく、厳しいながらも公平な政治を行った重次を称えてこう言った。



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